今回のコラムを書いてから、かなりの方とお話をさせて頂きました。
ありがとうございました。
では、意見を書きます。
レストランのオーナーがワインの選定が上手く出来ないからこそ、ソムリエなる職業があるのであって、ソムリエがチョイスしたワインリストがそのレストランのお客様に評判がよければ、良いソムリエなのです。
飲むのは誰なのか。
評価するのは誰なのか。
オーナーは、腕のよいシェフと同じように腕のよいソムリエを雇いたいのです。
つまり、店としての立場がはっきりしていて、その上でワインの選定が行われるのです。
仮に、ソーヴィニオンブランという品種の白ワインを選ぶ時も、あまりにも強すぎる香りのワインを選ばないという選択肢もある訳です。
よく、比較試飲だけする場合に、香りも味わいもインパクトの強い方を褒め称えたりします。
でも、本来は、立場で立場でチェックの視点が異なります。
どうも日本では、ワインというとかなり様々な意見が交錯します。
ワイン談義、大いに結構ですよ。
でも、こうゆう事はほとんど言われません。
その悪弊(ゴメンナサイ、あえてこう言わせて貰います。)が日本酒にそのまま入ってきていますね。
日本酒談議とワイン談義は、本質的に同じようには出来ないと思います。
う~ん、ちょっと言い回しが違いますね。
本質を知った上で、それぞれの味に対する意見、感想を大いにコメントする。
ということです。
日本酒は、ごはんと同じ捉え方をすると分かりやすい、と何度となく書いておりますが、極端な話として、ごはんにするお米で「バラの香りのする米の新品種が開発されました。」という話はまず考えられませんね。
有ったとしても、とても特殊な料理に使われるお米だと思います。
日本酒はもちろんごはんという捉え方よりも、もう少し、夢もロマンも有りますよ。
ごはんと一緒にしないでよ。とおしかりを受けそうです。
でも、今の例えのような日本酒談議があったとすれば、やはり可笑しいと言わざるを得ません。
色々な日本酒の可能性の部分で、大いに結構な事ならば、ハイ、応援しますよ。
チャレンジ、チャレンジ!!は~い、お客さんは楽しみに待ってます。
でもその辺りが、何だろう、混同されてしまっている。
そう感じます。