今日、朝刊の書籍の広告欄に「山岡鉄舟」が載っていたので、早速「アマゾン」に注文してしまいました。
剣と禅、そして書の達人にして明治維新の影の立役者。
最後の武士とも言われ、明治維新後は明治天皇の侍従長を長く務めた方、等々、色々と謳われている方です。
この方の最も大きな功績として現代にも影響を与えていることと言えば、あの「武士道」を編纂されたことだと思います。
ここで、ちょっとミニ解説。
「武士道」というと、戦国時代の武士の生き方だろ、それをまとめたものなのか、と思われることとでしょう。
そうではありません。
この山岡鉄舟が明治維新の後、日本人の生き方の規範となるべき事柄として編纂したものであり、その手本を昔日の武士の在り方、生き方に求めたことから、ハイ、それらを元にしたことから、その「題」を「武士道」と名付けたのです。
普通に生きる日本人の為に行ったのです。
だから、明治の男は気骨があったとされるのはこの為です。
ただ、時代の流れと共に、それが曲解されたり、都合良く利用されたりしてしまったのです。
今となっては、うさんがられますからね。
でも、それは、時代がそれを悪く利用したからだと思います。
間違った認識の最たるものは、「武士道とは死ぬことと見つけたり」(葉隠)
こんな、恐ろしい文面をみたら、誰だって敬遠しますよ。
武士、ええ~、腹切。
時代が違うだろう。
冗談じゃないよ。
そうゆう部分だけ、前後の説明や本来の意味も全く伝わらずにピックアップされて、ますます、遠い存在にされてしまいました。
何も、戦に勝つための見方や捉え方、まあ、精神論とかじゃないのです。
それが嵩じるから、テクニックの話へと進んでしまうのです。
だから、商いでも、売りのテクニック、の話ばかりですものね。
自らの生き様としての心構えでしょう。
商人道も全く武士道と同じなのです。
というより、この「武士道」を「商人道」に置き換えていたのですから。
それも今となっては、人の口に上る事さえなくなりました。
明治は遠くなりにけり。
これも、昭和にこころある人が世相を嘆いて言った言葉ですからね。