10年以上前に、、あるフランスのお金持ちのネゴシャン(卸問屋)が所有するとされる、自然で理想的なカーブ(ワインセラー)にて熟成されたワインを何度か仕入れたことがあります。
(先のブログに書いた内容の続きです。)
高価な物は仕入れられないので、価格の安いものばかりを仕入れました。
そこで仕入れたワインを、普通のお客さんに試してもらいました。
すると感想は・・、
え~、美味しい。
何これ、良いですね~。
ほとんどの方はこのように言われました。
ワインのコメントなど出るヒマありません。
試して貰ったワインは、
ピノノワール種のブルゴーニュの赤ワイン。
10年物。
シャルドネを使ったシャブリのレギュラークラス。
確か5年物。
カベルネ・ソーヴィニヨン種を使ったボルドーワイン。
これは記憶があいまい。
どれも、3,000円台のワインです。
そんなすごい企画なんだから、余程の高価なワインばかりかといえば、そうではありませんでした。
もちろん、高価な物の方が多くリストアップされていましたが。
でも、高価と言っても、手が出ない価格帯のモノではなく、妥当な価格のモノばかりでした。
え~と、その時に思いました。
香りを何かに例えてコメントすることなど意味がほとんどない。
わ~、良い香り。
そう感じるかどうかが先なのです。
その後、コメントをすればいいのですから。
そして、
ミネラル感がどうのとか、複雑味とか、そんな味わいのコメントもそれほど意味がない。
先に、飲んだ人の口から「良いねえ、このワイン、美味しいわ」と出ることの方が大切なのだと思いました。
お金持ちのフランスのワイン商が道楽で行っているかもしれない。
そのワインたちは、どのように選定されたのだろう。
でも、その価値基準は、私と一致するし、ごくごく普通の日本人の味覚に一致する。
そこに、一般的に言われるところのワイン通であるとかの必要などさらさらない。
このワインのカーブを所有する、お金持ちのワイン商は、至極まともなことを行っている。
そう思いました。
これはもしかすると、本当の意味での道楽なのかもしれません。
自らが選定したワインを、自らのセラーで保管して、美味しくなる頃に販売する。
そこには、本当の選定能力が問われます。
う~む、これは最高の道楽だ。
そうでなければ、大金を投じて、自然で最高のカーブ(ワインセラー)を所有する意味がありません。
ワイン商いは、道楽なのだ。
この時の感覚が、私のワイン商いの基準になっています。