今日は、ワインを購入しにこられたお客様に大変喜ばれました。
え~、それはですね、ブルゴーニュの某有名ブランドのレギュラークラスが在ったからなんです。
しかも、1996。
このワイン、保管していた時にラベルを汚してしまって、売り物にならなくなっていたものなんです。
それがたまたま残っていた訳です。
しかも、このブランドは流通経路が限られており、しかも最近はブランドイメージを創るためなのか、とにかく高級品ばかりが輸入されているそうです。
そんな訳で喜んで頂きました。
いやあ、よかった、よかった。
(ちなみに現在では当店では入手できません。以前はこうゆう掘り出し物的な感じで輸入されることもあったのですが残念です。)
(ああ、お値段ですが、今日お渡ししたワイン(2種類)は、一本7~8千円です。)
今日のやり取りで私の中のワインに対する気持ちが呼び覚まされたように感じています。
実は、少しばかりですが、ワインを寝かせています。
それはですね、美味しい飲み頃というものがワインにはあると思っているからです。
そして、そうゆう売り方が理想であるとも思っています。
でも、中々出来るものではありません。
ちょっと前なら、私のように言う人も居たと思いますが、今はそれほどおられないように感じます。
ワインが変わってきているのでしょう。
なぜ、飲み頃のワインを売りたいと思うようになったのかと言いますと。
私がワインの営業マン時代にブルゴーニュにある某ネゴシアン(問屋さん)が、フランスで最も理想的な最高のカーブと言われている素晴らしいワインの貯蔵庫を有しておられました。
そのネゴシアンは、フランスでこちらも最も権威のあるコンテストにおいてお墨付きをもらったワインを寝かせるのです。
そこには、高級品ばかりではありません。
レギュラーのシャブリの10年物なんてあったりしました。
これは、いわゆる、ボルドーのオールドヴィンテージ商法とは違います。
味わい、品質共に優れたワインを飲み頃になるまで、最高の保管場所で熟成させているのです。
まあ、このネゴシアンの社長さんの趣味の世界かもしれません。
でも、この時に私は、これが理想のワインの商いであると思いました。
お金持ちの道楽?!
う~む、そうゆう部分がなければワインは楽しくないかもしれません。
でも、まあ、私の年代はワインと言えばフランスワインという呪縛から逃れることが出来ないのかもしれませんね。
まあ、何も出来ないかもしれないけれど、理想のワイン商いを探求しながらやってみようかな~。
う~む。
ああ、そうそう、書き忘れるところでした。
その某ネゴシアンさんのワインを飲んでどう感じたと言いますと。
ワインが素直なんですよ。
もちろん、コメント的にはソムリエさん風にですね、複雑味とか、色々とね。
でもね、コメントなんて本当はあまり意味無いんです。
美味しいと思うかどうか何ですから。
その時に感じたのですね。
ワインも日本酒も同じだ。
な~んだ、フランス人も同じじゃないか、ということなんです。
キャラクターの説明としてのコメントは当然必要ですよ。
でも、美味しさってコメントするの、中々大変です。
この当時の選ばれたワインを飲んで思ったのは、決してインパクト勝負の味ではないのです。
落ち着いた印象です。
この社長さんだからなのか、いえ、おそらくそうではないでしょう。
ワインの味を多く語ることがワイン通なのだろうか。
そうではないと思う。
いいワイン、美味しいワイン、をちゃんとチョイスして楽しむことの出来る人。
スマートにワインと付き合うことの出来る人。
それが本当のワイン通なのではないだろうか。
そうゆう消費者の方に対して、お手伝いとしての酒屋商い、ワイン商い、がいいなあ。
そう思います。