美味しいと思う味は十人違う(続き)
なぜ、このことに付いて言及するのか。
別に、「そりゃあ、そうですね。」
と言っていれば済むことなのに。
ある人から聞いた話です。
最近は、かなりの方が外国での生活を経験されておられます。
ある女性が、ヨーロッパのある国で10年近く滞在され帰国されました。
帰ってきたことを知って、同級生がワインの集まりに誘ってくれたそうです。
何でも、当時の学校の先生がワイン好きで、それでもう何十年も卒業生が集まって続いているのだとか。
先生の自宅に、卒業した先輩や後輩が自分が美味しいと思うワインを持ち寄って集まりワイワイ楽しむ会。
ところが、参加してみて気が付いたことが。
何と、その外国から帰国した人からすると、「美味しい」と思うワインが無かった。
というショッキングな体験でした。
誰かが、いや誰もがワインについて詳しいという訳でもない集まりだと思うけれど・・。
けれど、しかし、もう数十年も続いている集まりなのに。
これって一体どうしてなのだろう。
こういうことってやはり何かがおかしいですよね。
日本人は、最初にこういうワインが美味しいよって教えてもらっていないから。
手当たり次第に飲みながら、いつまで経っても分からないままにいるのでしょうか。
これですと「美味しい」という基準を持つことなくワインを飲んでいる。
ということになってしまいます。
それとも、外国生活が長かったから、その女性の味覚が違うのか。
こういうエピソードを聞かされても
そりゃあ、
「美味しいと思う味は十人いれば十人違う」からね。
仕方ないよ。
そう、
これがまかり通ってしまうのです。
堂々巡りをするつもりはありません。
色々な味わいがあり、それぞれに美味しさが違う。
しかし、その美味しさのその部分を感じなければ、
そりゃあ、美味しいとは言わないでしょう。
つまり、
帰国された女性は、それを感じるワインがなかったと言っている訳です。
好みの味がなかったということとは違うと思います。
そう、この美味しいの中味を文章で書くことが出来ない。
まあ、私が言わんとすることは、そういうことです。
よろしくお願いします。
2015.05.31